青木　悦の本

　腕がしびれてくる。落としたら大変だと思うが、眠くて眠くて頭がボーッとする。すわって壁にもたれ、ウトウトする。子どもが泣き始める。反射的に立ち上がり、また、部屋の中をぐるぐる歩く……。いま23歳の息子が生後6ヶ月の頃、熱を出し、眠れないことがあった。私は狭い団地の中を、抱えて歩きまわった。ただひたすら、歩いた。

　児童虐待の事件が続いている。去年11月には愛知・藤岡町で10歳の男の子が、両親にベランダのといに裸のまま縛りつけられ、肺炎で死亡した。自分をにらむ目がこわいと、母親はその子の両目をガムテープでふさいだと報道された。12月には愛知・武豊町で3歳の女の子が、部屋のダンボール箱に閉じこめられて放置され、餓死した。

　今年になって、川崎市で生後4ヶ月の男の子が母親に首を絞められて死亡(1月17日)。山口・宇部市では9ヶ月の男の子が母親に腹をふまれ、内臓破裂で死亡(同8日)。埼玉・志木市では3歳の男の子が「靴をはくのが遅い」と、父親に殴られ蹴られて死亡(同24日)。愛知・武豊町(餓死した女の子と同じ町)では、父親の飼っているハムスターにさわったとして、3歳の女の子と2歳の男の子が熱湯のフロにいれられ大やけどした(同25日)。文字どおり毎日、こんな報道が続いた。赤ん坊の顔に熱湯をかけたといわれる事件の報道もあった。

　私は「いじめ」社会の中の、抵抗できない小さな命の危うさを思い知らされた。「いじめ」をずっと取材しながら、その真っただ中に放り出される赤ん坊の存在の危険性に気づくのが遅かった。

　一般的には「母親なのに、なぜあんなことができるのか?」とか、「親なのに、なぜ?」(加害者は父親も多いのに、なぜか「父なのに」と言われることはない)と、「親」としての部分が責められた。

　しかし、私が子どもを抱いて、両首脇のリンパ腺がはれて将棋の駒のような顔になりながらぐるぐる歩き回った時、自分の頭の中に「親だから、母だから」といった思いは全くなかった。ただ、〝放置したらこの子は死ぬ。早く熱を下げないと、こんな小さな体では体力をすぐ消耗してしまう。そのためには、できるだけ眠らせてやらなければーー〟と、子どものことばかり考えていた。

　子どもを産み育てる時、当時者には「母だから、親だから」と思うことは現実には少ないと思う。ただひたすらこの小さな命を守りたいと思い、その命のあまりの繊細さにおびえ、祈るようにその身を抱いただけだ。

　いま子育て中の若い人たちに対して、母なのに親なのにと責める前に「子育てとはハムスターを育てるのと同じように、小さな命を守り育むことですよ」と言った方が伝わると思う。人間の子どもの命だと思うから、もっとはっきりいえば自分を「親」だと思うから、「わが子には何をしてもいい」という気になり虐待が起きるのだ。その人が「親」かどうかは、当の子どもが判断し、決める。

　小さな命を、いま、育むことができない人は、できる人に託した方がいい。母であること、親であることに、昔と同じような幻想を抱くよりも、いま目の前にいるか細い命を他のおとなが守ること、そのためのシステム作りが何よりも急務だ。

　「親なのに」と責めているだけでは、子どもを救うこと(育てること)はできない。